読書家になりたい

ボキャ貧が読んだ本の感想とか書くだけのブログです。

【読書感想】悲しみよ こんにちは

あらすじ

もうすぐ18歳の「セシル」、プレイボーイ肌の父「レイモン」、その恋人「エルザ」は海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。

そこで、セシルは大学生の「シリル」との恋が芽生え、父のもうひとりのガールフレンドである「アンヌ」が合流する。

父が彼女との再婚に走りはじめたことを契機に、セシルは葛藤の末ある計画を思い立つ。

 

感想

叙情的で美しい文章、今まで他の作家の本を読んで「文章が美しい」と感じたことは多いですが、この本は特に感じました。訳者あとがきに、著者のサガンが「生前作家のなにに敏感か」と聞かれて「声」と答えた話があります。

声を持っている作家というものがいて、それは一行目から聞こえてくる。いちばんたいせつなものだと思う。声、あるいはトーンと呼んでもいい

 

まさに、サガン自身がそんな作家でした。この物語の一行目から話に引き込まれ、「あ、好き」と感じる文章でした。

ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。

悲しみ ー それを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今は、なにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。

 

話の内容も、18歳の年頃の愛や憧れ、劣等感や期待、複雑なようで単純でもある心理描写が丁寧に描かれています。サガンの執筆当時の年齢も18歳だったそうで、その頃の瑞々しい感性を身に染みて感じました。

それは、読みやすく訳された訳者の力量もありますし、いろいろな意味で美しいと感じる本でした。

闇のなかで、わたしは彼女の名前を、低い声で、長いあいだくり返す。するとなにかが胸にこみあげてきて、わたしはそれをその名のままに、目を閉じて、迎えいれる。悲しみよ、こんにちは。

 

【読書感想】喜嶋先生の静かな世界

あらすじ・概要

大学4年の僕は、卒論のために配属された研究室で喜嶋先生と出会う。

寝食を忘れるほど没頭した研究、初めての恋、珠玉の喜嶋語録の数々。学問の深淵さと研究の純粋さを描いて、読む者に静かな感動を呼ぶ自伝的小説。

 

感想

帯裏の言葉が印象的でした。

自分は妥協や我慢をしながら過ごしているのに、なぜ、こんなまっすぐ生きている人たちに共感してしまうんだろう。この小説に出てくる人たちは、自分のなかにあるわずかに残ったピュアな部分を掬い上げてくれているのかもしれない。 ー講談社 営業担当

 

大学の研究職となると、ひたすら目の前の研究に没頭し、世間から離れた、孤独で静寂な世界が広がっています。それでも、出世していくと教育や人事の仕事が増え、世間的なしがらみも増えていきます。

「僕」が憧れた「喜嶋先生」は、出世にこだわらず、自分の好きなことに没頭し、思っていることを素直に口にする純粋さを持った人でした。

普通の人間は、言葉の内容なんかそっちのけで、言葉に表れる感情を読み取ろうとする。社会ではそれが常識みたいだ。そうそう、犬がそうだよ。犬は、人の言葉を理解しているんじゃない。その人が好意を持っているか敵意を持っているかを読み取る。それと同じだね。特に日本の社会は、言葉よりも態度を重んじる傾向が強い。心が籠もっていない、なんて言うだろう?何だろうね、心の籠もった言葉っていうのは」

「そういう文化を否定しているのではない。ただ少なくとも、研究者の間では、言葉は、それが意味するところ、その意味から形成される共通認識がすべてだ。怒った顔で話そうが、笑いながら言おうが、言葉の意味とは無関係なんだ。・・・だから、普段から、いつも自分の心のまま、考えたまま、正直に言葉にするようにした方がいい。・・・親しい人に対しても、駄目なときは駄目という。いけ好かない奴でも、そいつの言っていることが正しければ、拍手を惜しまない。信用できる研究者っていうのは、そういうものだ。感情なんてちっぽけなものに流されてはいけない。・・・」

 

この本のテーマに、「社会」と「自己」の対比があると思います。現実社会では、好きなことだけして生きていくことができません。

実際自分も、明日からもやりたくない仕事をして、相手を煽てるような言葉を使って生きていきます。

 

それでも、この本を読んでいる間は、ただ好きなことに没頭し、純粋な気持ちでいられる世界にいました。社会から離れ、耳障りな音のしない静寂の世界にいました。

そうした、自分のなかのピュアな部分に触れたり、ただ好きなことに没頭していた時の気持ちを思い出すのは、心地の良いものです。とりわけ、社会に疲れたときに読むと、気持ちを落ち着かせてくれそうだと思いました。

 

おまけ

最後の最後で一種のドンデン返しがある展開は、ミステリー作家として有名なさすがの森博嗣さんでした。

 

以下印象に残った言葉

とても不思議なことに、高く登るほど、他の峰が見えるようになるのだ。これは、高い位置に立った人にしかわからないことだろう。ああ、あの人は、あの山を登っているのか、その向こうにも山があるのだな、というように、広く見通しが利くようになる。この見通しこそが、人間にとって重要なことではないだろうか。他人を認め、お互いに尊重し合う、そういった気持ちがきっと芽生える。

(巻末、養老孟司氏の解説より)

若い頃は私も人を理解することは大切だと思っていた。だから心理の勉強もしたが、いまではほとんど関心がない。自分の女房の考えもわからないのに、他人の気持ちまでわかるわけがない。わからなくていい。それがわかってきたのである。そう、ゲーテじゃないけれど「学ぶには時がある」。でも、この作品は修業中の若者が読んでもいいし、私のような老廃物が読んでもいい。その意味で普遍性のある、よい作品に仕上がっていると思う。

 

【読書感想】センセイの鞄

あらすじ・概要

40目前で落ち着いた雰囲気の女性「ツキコさん」。ツキコさんの高校の恩師で、30以上歳の離れた「センセイ」。二人の切なくもあたたかい恋模様を描いたお話です。

満場一致で決まった、谷崎潤一郎賞受賞作。

 

感想

穏やかな時間が流れる二人をいつまでも見ていたい、そんなお話でした。

ツキコさんとセンセイは居酒屋で偶然再会し、たわいのない話をしていくことで距離が近づいてきます。ぽつりぽつりと会話を交わす、二人の距離感が絶妙でした。

肴の好みだけでない、人との間の取り方も、似ているのに違いない。歳は三十と少し離れているが、同じ歳の友人よりもいっそのこと近く感じるのである。

 

加えて、この小説の大きな魅力が、合間に出てくる食べ物が本当に美味しそうでした。居酒屋では「まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう」、冬の「湯豆腐」、キノコ狩りに行って「キノコ汁」...。

好きな人と美味しいものを食べながら、ただたわいのない話をする、結局それが一番の幸せなのだと感じさせてくれます。歳の差恋愛とか、40目前からの恋とか、そういうものが背景にありつつも、幸せの形に年齢とかは関係ありませんでした。

 

以下印象に残った言葉

「育てるから、育つんだよ」と、そういえば、なくなった大叔母が生前にしばしば言っていた。・・・大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手をつくすことが肝腎。そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが安心。